地域とつながり、共に発展していく契機に
未来に残したい「町と企業のシンボル」
伊藤忠丸紅鉄鋼➡滋賀県豊郷町
滋賀県で一番小さな町、豊郷町。町を縦断する中山道を歩いていると、青空に映える美しい建物が目に留まる。国の登録有形文化財でもある、「豊郷小学校旧校舎群」だ。同町出身で、商社「丸紅」の専務であった古川鉄治郎が私財をなげうって寄贈。「白亜の教育殿堂」と呼ばれ、長く町民に愛されてきた。子供たちを育みながら、戦争や、解体の危機などを乗り越えてきた同校は、「自らを育ててくれた町への感謝と恩返し」の象徴として、今日も人々を見守り続けている。
白鷺(シラサギ)が羽を広げたような美しい外観の豊郷小学校旧校舎群。
校舎内は無料で見学が可能
■「豊郷の誇り」の小学校校舎
春の晴れた朝、豊郷小学校旧校舎群を訪ねると、小さな子供の手をひいた母親や、町民とおぼしき高齢者らが盛んに出入りをしていた。同校は、2004年に小学校としての役割を終え、09年にリニューアルオープンした。現在は子育て支援センター、町立図書館などが入る複合施設として利用されている。白く美しい外壁は、完成当時の色を分析し、復元されたものだが、内部はできる限りそのままの形で改修、保存がされており、昭和初期に建てられた小学校の校舎とは思えないほど壮麗だ。全国から観光や、映画やドラマのロケ、イベント参加などのために人が訪れる、町の人気スポットでもあり、近年は非公式ながら、アニメ「けいおん!」の舞台のモデルとされ、ファンが“聖地巡礼”に来ることでも知られる。
豊郷町企画振興課の西田和貴主任
「小学生だったときは、当たり前のようにあるものという感覚でしたが、一度大学進学で町を離れて、この校舎の凄さがわかりました。豊郷町にとって、なくてはならないシンボルです」と語るのは同町の企画振興課、西田和貴主任。自身も同校の出身で、実際にこの校舎で学んでいたという。
校舎の歴史は、昭和初期まで遡る。当時開校から50年近く経過した豊郷小学校の校舎は老朽化が進んでいた上に、子供が年々増加していたため何度も増築、これにより敷地がかなり手狭になったこともあり、問題となっていた。そうした窮状を救おうと立ち上がったのが、同町出身で、丸紅の専務取締役などを歴任した古川鉄治郎だった。鉄治郎は、実弟とアメリカを視察した際、同国の実業家らが利益を社会のために還元していたことや、最新の学校教育環境に強く感銘を受けていた。そうした影響もあり、私財の3分の2にものぼる金額を、新しい小学校を建てるために寄付。当時の金額で60万円、現在の価値では30億円ほどにもなる大金だった。
鉄治郎は、理想の小学校を建てるべく奔走した。日本における西洋建築の父、ウィリアム・メレル・ヴォーリズに設計を依頼し、当時の最新設備も惜しみなく導入した校舎は1937(昭和12)年に完成。以来、「白亜の教育殿堂」「東洋一の小学校」と称されるようになる。
ウサギとカメのオブジェは階段をのぼるにつれ、童話の場面が進行していく
校舎内の階段の手すりに設置されているのは、ウサギとカメのオブジェ。鉄治郎が9歳で小学校を卒業する際(当時義務教育は尋常小学校の4年間のみだった)、先生からイソップ童話の「ウサギとカメ」の話を聞き、「カメのようにゆっくりでいいから、コツコツ絶え間なく努力をしなさい」と励まされた経験がもとになっている。鉄治郎は見事に“カメ”を体現し、丸紅商店の専務として成功、小学校を寄付するまでに立身出世した。校舎完成後、わずか2年あまりでこの世を去ったが、鉄治郎の銅像は校舎の前で、今も訪れる人を温かく迎えている。
■郷土への恩返し
そんな豊郷町に、初めて企業版ふるさと納税を寄付したのが、伊藤忠丸紅鉄鋼(東京都中央区)だ。同社は01年に伊藤忠商事と丸紅の鉄鋼製品部門の「分社型共同新設分割」として誕生した。21年に500万円、22年に100万円と、2年続けて寄付を行い、寄付金は豊郷小学校旧校舎群の維持管理に役立てられている。
伊藤忠丸紅鉄鋼の石谷誠取締役兼常務執行役員
毎年数多くの団体へ寄付を行っている同社であるが、「21年に設立20周年を迎え、改めて社会へ貢献できる取り組みを考えていたところでした」と振り返るのは、同社の石谷誠取締役兼常務執行役員(23年4月1日から代表取締役社長に就任)だ。以前から丸紅のルーツともいえる豊郷町とは、新入社員研修を同町で行うなど、交流があったが、企業版ふるさと納税の話が持ち込まれたとき、「豊郷町しかない」と、まだこの制度の登録をしていなかった同町に、企業版ふるさと納税マッチングサポート社を通じて寄付を打診した。
伊藤忠も丸紅も、近江商人としての「三方よし」の精神を大切にしている。「三方よし」とは、「売り手よし、買い手よし、世間よし」のこと。商売は売り手と買い手が満足するだけでなく、社会に貢献するものであるべきという考え方だ。社会貢献という言葉は広く、さまざまな手段や方法があるが、石谷氏は「郷土への恩返し」も大切な社会貢献だと語る。豊郷町への寄付は、近江商人の精神を表し、社会に貢献する企業であり続ける“決意表明”の機会でもある。石谷氏自身、出身県のアンバサダーを務めており、郷土へ恩返しをしていくことに強い意欲を持っている。
「豊郷町への寄付もまさに、弊社としての『郷土への恩返し』なんです。私自身もせっかく育ててもらった郷土に、なにができるのか、忸怩たる思いがありました。実際にこうして寄付を行うことで、改めてその思いを確認しています」
■ルーツを意識する場
これまでも、同社は豊郷町で新入社員研修を行ってきた。大学や大学院を卒業・修了したばかりの若い社員らは、田植えをしたり、祭りでみこしを担いだり、町の課題についてディスカッションを行ったりしていく中で、自らの力で社会に貢献する喜びを知る。豊郷小学校旧校舎群では、丸紅の礎を築いた古川鉄治郎の精神や社のルーツを学んでいく。
伊藤忠丸紅鉄鋼のオフィス受付。
豊郷小学校旧校舎群の模型や、ウサギとカメのオブジェが訪れる客を出迎えている
コロナ禍で交流は一旦休止していたが、同社はオフィス内にナノブロックでできた豊郷小学校旧校舎群の模型や、企業版ふるさと納税の紹介を展示し、理解を深める工夫をしている。昨年10月には、同町での研修ができなかった3年分の社員を連れて、日帰りながら研修を再開させた。
「若い社員は、ここで源流に対する感謝の心を育んでもらいたい。豊郷や、豊郷小学校旧校舎群は、社員が社のルーツを意識する象徴なのです」
寄付を受けた側である西田氏も、同社の町への思いがうれしかったと語る。
「21年に寄付をいただいたときは、コロナ禍真っただ中で研修などもストップしていた時期でした。リアルな交流ができず、いろいろな関係が希薄になりがちな中、伊藤忠丸紅鉄鋼さんの、うちの町への思い入れを感じて、非常にありがたく思いました。以前からつながりはありましたが、寄付をいただいたことで、より結びつきが強固になったのではないかと思っています」
■手を取り合い、次代につなぐ
22年の寄付に対しても、豊郷町から伊藤忠丸紅鉄鋼に感謝状が贈られた。
伊藤忠丸紅鉄鋼の石谷誠取締役兼常務執行役員(左)と豊郷町教育委員会の堤清司教育長
(伊藤忠丸紅鉄鋼提供)
この4月には、以前のような泊まり込みの研修も4年ぶりに再開予定だ。待ちに待った本格再開。今後について、「研修をさらに進化させ、社員が豊郷町のお力になれる場を増やしていきたい」(石谷氏)、「さらにつながりを深め、新しいことも一緒にやっていきたい」(西田氏)と、期待を膨らませている。
現在は町の複合施設、観光地として親しまれている豊郷小学校旧校舎群だが、かつては耐震性の問題から、町議会で校舎を解体する方針が打ち出されたことがあった。町民の多くが方針に反対し、市民団体が校舎の保存運動を行い、全国的に注目を集めた経緯がある。苦難を乗り越え、13年には国の登録有形文化財に登録。豊郷町にとどまらない、国の宝となっている。先人達が懸命に残してきた思いと貴重な財産をどう維持し、未来につなげるか。あらゆる課題に向き合い続けていくことになる。
同社からの企業版ふるさと納税は、新型コロナウイルスの感染防止対策をはじめ、景観を保つための清掃、草木の剪定など、同校の維持管理費用として活用されているが、老朽化が進みつつある中、さらなる改築も定期的に必要となる。人口7500人余りの小さな町が維持費用を捻出し続けるには、同校や町に人を呼び込み、活気を創り出していく力とアイデアが欠かせない。
西田氏はそういった視点からも、同社との連携をさらに深め、町が成長、改革を続けていく原動力になることを願っている。
「町に若い方がたくさん来ていただくと、活気があふれて、地元民もすごく喜ぶんですよ。研修で、町の課題を伊藤忠丸紅鉄鋼さんの目線で見ていただく取り組みもさることながら、同社の持つ技術やノウハウなどもどんどん取り込ませていただきたい。町が学ぶべき点はたくさんあるのではないかと思っています」
金銭的な支援だけでなく、地域とつながり、共に発展していく契機となる企業版ふるさと納税。先人達の思いと財産を未来に残す責務を持つ町と、町への愛着と感謝の心を持つ企業のタッグは、地方自治体が抱える課題に挑戦する好事例として注目されそうだ。
企業版ふるさと納税とは
地方自治体の地方創生事業に賛同する企業が、寄付を行うことで民間の資金を地方創生に役立てる制度。企業は寄付額の最大9割の税額控除を受けられる。2016年から始まり、21年度には約226億円の寄付が行われた。
株式会社企業版ふるさと納税マッチングサポートは、一般財団法人地域活性化センターと東武トップツアーズ株式会社の共同出資により設立、寄付を希望する企業と自治体のマッチングを行っている。